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      <title>男性アイドル今昔物語</title>
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      <description>男性アイドルの誕生は、1950年代の石原裕次郎、1960年代の橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦らがスタートですが、当時はまだアイドルという言葉はありませんでした。実際には、アイドル的な人気は、グループサウンズが始まりで、1970年になるとアイドルという言葉も使われだし、そのとき登場したのが、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎でした。1980年になりますと、男性アイドルはほとんどジャニーズ事務所を中心にまわり、たのきんトリオ。シブがき隊、光ＧＥＮＪＩ、少年隊が続き、今のＳＭＡＰやＴＯＫＩＯなどに続いています。。</description>
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         <title>フィンガー５</title>
         <description>フィンガー５

フィンガー５は、小学生だった長男・一夫、次男・光男、三男・正男が、米国の占領下の沖縄で、父親が経営していたバーにおいて「オールブラザーズ」という名で活動を始めます。
沖縄のテレビ番組で優勝したのを契機にプロデューサーに薦められ、一夫が14歳の時にパスポートを手に東京へ進出しますが、当初は売れずに苦しい時代をすごしていました。

次第にレコード会社が活動を認めるようになり、1972年に他の兄弟も加わって「フィンガー5」と改名、翌1973年にリリースした世志凡太プロデュースによる『個人授業』がミリオンセラーとなり、一気に知名度が上がりました。

その後『恋のダイヤル6700』『学園天国』などをリリース、いずれもミリオンセラーとなり、後世に残る楽曲となり、またテレビ・映画にも多く出演しました。

5人の中でも特に、年少の晃と妙子に注目が集まり、特にデビュー当時は11歳と10歳で、まだあどけない姿で大人顔負けのステージをこなす姿が人気でした。

また晃は特大のサングラス姿がトレードマークとなっており、それが流行にもなりました。

その後フィンガー５は、休養も兼ねて、1975年～1976年に米国に滞在しますが、日本を長く留守にしていたこと、メインボーカルの晃が変声期を迎えて従来のようなハイトーンが出せなくなったことなどから、帰国後は人気が急落し、晃に代わり妙子をメインボーカルに据えるなどの対応策もあったのですが人気は回復せず、1978年に実質的に解散しました。</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">001男性アイドルの起源</category>
        
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         <pubDate>Sun, 02 Sep 2007 01:38:00 +0900</pubDate>
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         <title>フォーリーブス</title>
         <description>フォーリーブス

フォーリーブスは、1968年9月5日、両A面シングル『オリビアの調べ/壁のむこうに』にてレコードデビューで、16歳前後の美少年たちが踊りながら歌うというビジュアル性豊かなスタイルは新鮮であり、若い女性からの熱烈な支持を集め、すぐに人気アイドルとなりました。 

1970年にはフォーリーブスのプロマイドの売上げが男性歌手部門の1位になり、衰退期にあったグループサウンズのザ・タイガースらに代わりトップアイドルとなりました。

大ヒット曲はありませんが（ヒットチャート最高10位）、冒頭の江木の名ゼリフで知られる『地球はひとつ』や、『あしたが生まれる』『夏の誘惑』などの個性的な名曲がコンスタントにヒットを重ね、1970年から7年連続でNHK紅白歌合戦に出場しています。

また多くのレギュラー番組を持ち、安定した人気を保った息の長いアイドルグループで、特にミュージカルに熱心に取り組み、その姿勢は現在のジャニーズに受け継がれています。 

フォーリーブスの中での位置付けは、運動能力に優れた北公次は華麗なダンスやバック転でステージを彩る、トップ人気の看板スターで、青山孝はジャニーズ史上でも1,2位を競うと評される程の歌唱力を持つ、音楽面でのリーダー的存在、フォーリーブスの楽曲の音楽性の高さは青山に負うところが大きい、といわれています。また、名子役として芸歴の長い江木俊夫はグループのMC役で、最年少のおりも政夫は前期はあまり目立たぬ存在でしたが、次第に話術等において豊かなタレント性を発揮するようになります。</description>
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         <pubDate>Sun, 02 Sep 2007 01:36:51 +0900</pubDate>
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         <title>野口五郎</title>
         <description>野口五郎

野口五郎は、1971年5月1日に『博多みれん』で演歌歌手としてデビューしましたが全く売れず、2曲目の『青いリンゴ』からポップス歌手に転向すると、甘いマスクとナイーブな性格が若い女性ファンの人気を獲得し、後にデビューした西城秀樹、郷ひろみと共に新御三家と呼ばれて、一躍アイドルとなります。

1972年のNHK紅白歌合戦で異例となる最年少・初出場歌手に抜擢され、オリコンのヒットチャートでは、1973年に『オレンジの雨』で初のベストテン入りを果たすと、続く『君が美しすぎて』が第3位にランクされ、さらに1974年には『甘い生活』で遂に第1位を獲得します。 

1975年には、実兄（佐藤寛）作曲による『私鉄沿線』が有線放送から火がつき、連続してオリコンのヒットチャートの第1位に輝き、日本有線大賞のグランプリ、日本レコード大賞の歌唱賞、日本歌謡大賞の放送音楽賞など、その年の各音楽賞を総なめし、一躍トップスターとして、脚光をあびます。

以来、しっとりとして伸びのある野口五郎の歌声と技巧的な歌唱法には定評があり、「新御三家の中で一番歌が上手い」と言われ、日本歌謡大賞の放送音楽賞を5年連続受賞するなど、毎年の各音楽賞の常連となり、地味ではあるが息の長い大人の歌手として活躍しています。</description>
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         <pubDate>Sun, 02 Sep 2007 01:35:55 +0900</pubDate>
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         <title>西城秀樹</title>
         <description>西城秀樹

西城秀樹は、1972年3月25日にシングル『恋する季節』でデビューし、男らしくてセクシーなマスクが女性ファンを魅了し、人気急上昇（愛称は片仮名の「ヒデキ」）します。

1973年、『情熱の嵐』が初のベストテン入りし、一躍トップアイドルになります。続く『ちぎれた愛』、『愛の十字架』が連続してオリコンのヒットチャートの第1位に輝き、絶唱型と言われる歌唱法により聴く者を圧倒し、その歌唱力が評価され、初の日本レコード大賞歌唱賞を受賞します。

1974年、『薔薇の鎖』のマイクスタンド・アクションが人気を呼び、『激しい恋』の“♪やめろと言われても”の歌詞が流行語になる大ヒットします。続く『傷だらけのローラ』が海外でもヒットチャートの第2位にランクインされ、日本レコード大賞で史上初となる歌唱賞を2年連続受賞、また紅白歌合戦でもトップバッターとして初出場を果たします。

さらにホームドラマ『寺内貫太郎一家』にレギュラー出演、映画『愛と誠』に主演と俳優としても活躍します。

1979年、『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』が大ヒット、“Y.M.C.A.”の4文字を全身で表現したパフォーマンスが日本全国を巻き込む一大ブームとなり、『ザ・ベストテン』で2週に渡り最高得点である9999点、番組史上唯一の満点を獲得しています。

ロック系のポピュラー音楽を中心にしたコンサート活動も精力的に行い、1974年から1983年までの10年間、毎年恒例となっていた、真夏の大阪球場コンサートも常時超満員となり、屋外音楽イベントとしては画期的なもので、ゴンドラの使用など派手な演出も話題となっていました。

また1975年秋には、日本人のソロ歌手として史上初となる日本武道館でのリサイタルを公演しました。

1981年、シングル30曲ベストテン入り（オリコン史上初）の快挙を達成し、さらに総シングルレコード売上枚数が1000万枚を突破、紅白歌合戦は1974年から11年連続出場、レコード大賞では歌唱賞を3度受賞、金賞は1978年から6年連続受賞します。

1975年の「ブロマイド」年間総売上実績でトップに立ち、以降1976年、1978年、1979年も男性歌手部門で第1位となり、歴代の通算第1位獲得月数で新記録を樹立しています。

1973年から9年間、ハウス食品の『バーモント・カレー』のCMに出演し“ヒデキ、感激!!”、“ヒデキ、ご機嫌!!”、“ヒデキ、満足!!”など数々のキャッチコピーがお茶の間の人気を呼び、国民的アイドルとして大人から子供まで幅広い年齢層の支持を得、元来、スポーツマンで、水泳、走り高跳びなどを得意とし、全国ネットでテレビ中継された芸能人による水泳大会や運動会、『8時だョ!全員集合』の体操コーナーなどで活躍し、随処に運動神経の良さを覗かせています。

一般の女性ファンのみならず、山口百恵や岩崎宏美など同世代の女性アイドルにもファンが多いことで有名です。</description>
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         <pubDate>Sat, 01 Sep 2007 17:59:04 +0900</pubDate>
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         <title>郷ひろみ</title>
         <description>郷ひろみ

郷ひろみは、1972年1月にNHK大河ドラマ『新・平家物語』で俳優として芸能界デビュー後、同年8月1日に『男の子女の子』で歌手としてデビューを果たします。

郷ひろみは、ジャニーズ事務所に所属し、当時人気絶頂だったフォーリーブスの後継者としての活躍が期待されました。

そのため、芸名の「郷」は、「5人目のフォーリーブス」という意味もかけていると言われています。

女の子に間違えられる位に甘美で可愛らしいルックスと、鼻にかかった独特の歌声が、若い女性に絶大なる人気を博し、一躍トップアイドルになり、野口五郎、西城秀樹とともに新御三家と呼ばれ、音楽番組以外に日本テレビ系『カックラキン大放送』などのバラエティ番組でも共演しています。

またテレビドラマにも多数出演し、まさに男性アイドルの典型でかつ象徴的な存在として、1973年、1977年の「ブロマイド」の年間売上実績でNo.1に輝いています。
 
『小さな体験』、『愛への出発』、『裸のビーナス』（1973年）、『花とみつばち』、『よろしく哀愁』（1974年）、『誘われてフラメンコ』（1975年）、『マイレディー』（1979年）、『How many いい顔』（1980年）、『お嫁サンバ』（1981年）などがアイドル時代の代表的なヒット曲があり、ユニークなところでは、TBS系ドラマの挿入歌で、共演の樹木希林とのデュエット曲『お化けのロック』（ムー・1977年）、『林檎殺人事件』（ムー一族・1978年）が大ヒットしています。
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         <pubDate>Sat, 01 Sep 2007 17:51:09 +0900</pubDate>
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         <title>ザ・タイガース</title>
         <description>ザ・タイガース

ザ・タイガースの原型は沢田研二を除く4人で1965年に京都で結成された「サリーとプレイボーイズ」で、その後当時「サンダース」で活動していた沢田研二が加入、バンド名も「ファニーズ」に改称します。

当時、メンバー全員がファンクラブに加入していたザ・スパイダースの田邊昭知から、「上京するならスパイダクション（現田辺エージェンシー）に来ないか」といわれますが、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」で共演したブルージーンズの内田裕也からナベプロ（渡辺プロダクション、現在のワタナベエンターテインメント）のオーディションを受けるよう勧められ、これに応じます。

1966年10月9日にナンバ一番で行われたオーディションに合格し、11月9日、新幹線で上京し、11月15日、初出演のテレビ番組「ザ・ヒットパレード」（CX系列）収録当日、関西出身ということからすぎやまこういちによってバンド名をザ・タイガースに変更させられます。

このとき高橋、人見、森本が巨人ファンだったことから一瞬揉めそうになりましたが「了承しないと出演させてもらえないかも知れない」ということで納得したとのことです。

1967年2月5日発売のシングル「僕のマリー」（作詞：橋本淳、作曲：すぎやまこういち ※1966年12月の録音時点でのタイトルは「マリーの想い出」）でデビューしますが、この頃メンバーのニックネームが決まり、沢田は女優ジュリー・アンドリュースのファンだったことから「ジュリー」と呼ばれるようになります。

岸部修三（現・岸部一徳、当時は「岸部おさみ」とも表記）は背が高かったことから、ビートルズのシングル「のっぽのサリー」にかけて「サリー」、森本太郎は本名から「タロー」、加橋かつみ（本名：高橋克巳）はトッポジージョに似ていることから「トッポ」、瞳みのる（本名：人見豊）はキューピーに似ていることから「ピー」と呼ばれました。

セカンド・シングル「シーサイドバウンド」（作詞：橋本淳、作曲：すぎやまこういち）、サード・シングル「モナリザの微笑」（作詞：橋本淳、作曲：すぎやまこういち）で一気にブレイクします。

折りからのグループ・サウンズ（GS）ブームも相まって、ザ・タイガースは瞬く間にトップ・アイドルとなり、その中でも、当時の男性歌手としてはあまりにも日本人離れした大きな瞳と端正かつ甘美なルックスの沢田が10代少女に熱狂的な人気を博し、沢田は一躍GS界はおろか芸能界をも代表する国民的アイドルとなりました。</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">003グループサウンズ</category>
        
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         <pubDate>Sat, 01 Sep 2007 16:51:29 +0900</pubDate>
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         <title>ザ・スパイダース</title>
         <description>ザ・スパイダース


ザ・スパイダースは、初期のころラウンジ・ミュージックや実力派歌手のバックミュージシャンとして活躍していて、リードギターとして加瀬邦彦も在籍していました。

メンバーチェンジを繰り返したザ・スパイダースは、1964年には、日本で知られる前のキンクスやビートルズに触発され、どのグループよりもいち早くコピーをし、グループ・サウンズバンドに編成、1965年に『フリフリ』でデビューします。

以来、持ち前の元気さと明るさでファッションやコメディ、音楽性を兼ね備えた実力派バンドになりました。

1966年発売の『夕陽が泣いている』が120万枚を超える大ヒットとなり、一躍スターダムに上がったほか他に『あの時君は若かった』などのヒット作もあります。

スパイダースは浜口庫之助作曲の作品を堺正章が、かまやつひろし（ムッシュかまやつ）作曲の作品を井上順が歌うのがパターンでした。

浜口が日本的な叙情を感じさせる独特のフォーク調の作風なのに対し、かまやつは乾いたカントリー＆ウエスタン風味や無国籍的ロック調の作風で個性を発揮していて、浜口もかまやつも旧来の歌謡曲の作曲家とは一線を画した作風で、これもスパイダースの大きな魅力になりました。

1971年1月の日劇でのステージを最後にザ・スパイダースは解散しました。</description>
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         <pubDate>Sat, 01 Sep 2007 16:43:29 +0900</pubDate>
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         <title>西郷輝彦</title>
         <description>西郷輝彦


西郷輝彦は、鹿児島商業高校中退後、上京し、1964年「君だけを」でデビューし、日本レコード大賞新人賞を獲得します。同年「十七才のこの胸に」で映画デビュー、歌手として大人気であっただけでなく多くの映画に主演し、1960年代のスーパーアイドルでした。

1970年代に入ると人気は下降し、ヌードになったこともあります。

1973年、TVドラマ「どてらい男」の主演で人気復活し、その後、TV時代劇「江戸を斬る」にも主演し人気シリーズとなり、俳優としての地位を確立しました。後に森繁久弥に師事し舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」などに出演する森繁ファミリーの一員でもあります。

大ヒット曲「星のフラメンコ」は、物まねタレントやCMなどにパロディー化されています。
NHK大河「毛利元就」の毛利弘元役や、時代劇「水戸黄門」（TBS系）などのドラマ作品に出演するなど主に時代劇俳優として活躍する一方、タレントとしてもみのもんたの「午後は○○おもいッきりテレビ」（NTV系）などに出演しました。

1972年に辺見マリと結婚し、二児をもうけたが1981年に離婚、長男はミュージシャンの辺見鑑孝、長女はタレントの辺見えみりで、再婚した妻の間に三女がいます。</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">002元祖御三家</category>
        
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         <pubDate>Sat, 01 Sep 2007 16:42:14 +0900</pubDate>
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         <title>舟木一夫</title>
         <description>舟木一夫


舟木一夫は、初期の所属事務所はホリプロダクション、現在のホリプロで、当初は舟木和夫という芸名になる予定だったが、舟木自身の希望で一夫になりました。

舟木一夫の優れた美声で1960年代を中心にヒットを飛ばし、同じ時期にデビューした西郷輝彦、橋幸夫とともに「御三家」として人気を集め、青春ソングの定番「高校三年生」に代表されるように、学生時代を元にした歌謡曲のほか、銭形平次のテーマソングのように、時代モノも数多く歌っています。歌だけでなく舞台などにも出演し、多彩な活動しています。

1963年、「高校三年生」でコロムビアからデビューし、いきなり120万枚の大ヒットを飛ばし、スター歌手に。同名で本人が主演した映画も大ヒット、それに続き「学園広場」「修学旅行」などもヒットします。

1970年頃には、こうした青春ソング以外にも時代モノ、民謡調などの歌にも独特の持ち味で数々のヒットを飛ばし、テレビ時代劇「銭形平次」のテーマソングも、番組のロングランもあって舟木の歌としてよく知られるところとなりました。</description>
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         <pubDate>Sat, 01 Sep 2007 16:41:01 +0900</pubDate>
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         <title>橋幸夫</title>
         <description>橋幸夫


橋幸夫は、遠藤実、吉田正に師事し、1960年に「潮来笠」でビクターレコードからデビュー、同曲で日本レコード大賞新人賞受賞します。

橋幸夫は、後にデビューした舟木一夫、西郷輝彦とともに「御三家」として人気を集め、御三家として活躍していた頃、ステージ上で観客に紛れた暴漢に襲われたことがあります。そのときに負ったケガが原因で、現在でも左手の薬指が伸ばせないという後遺症が残っています。

ビクターからデビューする以前にコロムビアのオーディションに落ちているが、コロムビアからデビューしていたら、舟木一夫という芸名になる予定でした。

1962年、吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」が30万枚以上を売り上げる大ヒットとなり、第4回日本レコード大賞を受賞し、1966年、「霧氷」で再び第8回日本レコード大賞を受賞します。

人気と実力を兼ね備えた若手ナンバーワン歌手と目され、映画に出演したこともあります。</description>
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         <pubDate>Sat, 01 Sep 2007 16:40:12 +0900</pubDate>
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         <title>石原裕次郎</title>
         <description>石原裕次郎


石原裕次郎は、海運会社・山下汽船（現:商船三井）に勤める父･石原潔　母･光子の次男として生まれ、父の転勤により、兵庫県神戸市須磨区→北海道小樽市→神奈川県逗子市､と港町に育ちます。

石原裕次郎は逗子中学時代からバスケットボールに熱中し､将来はオリンピック出場を夢見るスポーツ少年で、日吉の慶應義塾高等学校を目指すが受験に失敗し､当時慶應高校の予備校的な存在だった慶應義塾農業高等学校に進みます。

高校時代は、悪友たちにそそのかされ酒と女とケンカ三昧の日々に入り、1951年慶應義塾高等学校に入学し再びバスケットボールに熱中するが左足膝に大怪我をしたため選手生活を断念せざるをえなくなります。

17歳の頃､父親の突然の死により性格がぐれ再び酒と女とケンカ三昧の日々に入りますがその後慶應義塾大学法学部政治学科に入学するも中退しその後、しばらく無職でした。そして俳優になるため東宝、大映、日活のオーディションを受けるが全て失格します。

しかし、兄石原慎太郎の推薦もあって、太陽の季節に端役でデビューします。
そして、同じ兄石原慎太郎の狂った果実でブレイク、今でいうアイドル的な存在になりました。</description>
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         <pubDate>Sat, 01 Sep 2007 15:48:45 +0900</pubDate>
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